講習会の会場の中心には、「絶対的に服従します」という強烈な意識が仕組まれいた。
そこに自分の意識を向けることで、私たち参加者の感情が上書きされるように支配されていく。
では、いきなり顕著に上書きされたかと言えば、答えはNOだ。
それは、少しずつ少しずつ忍び寄るものなのだろう。
しかし。
マインドコントロールという卑劣な行為に直面しながらも、それから約1ヵ月ほど、私は千葉氏に対する忠誠心を払拭できずにいた。
「秀逸な書籍を執筆した人」というイメージに、どうしても「マインドコントロール」という言葉が結びつかなかったのだ。
しかしその後、その忠誠心から脱却できたとき――。
今度は、未だかつて経験したことがないほどの壮絶な怒りが湧き上がってきた。
マインドコントロールを脱したからか、それとも「裏切られた」という率直な激憤か、今でもそれは判然としない。
自分の意思で参加した講習会とはいえ、ひっきりなしに激しく押し寄せるやり場のない猛烈な怒り・・・。
正直なところ、その怒りが収まるまでの約半年間が、私としてはもっとも辛苦の時間だった――。
私は、この講習会に参加したことで、当然ながら成長した。
まず、「霊能者」という文字にアレルギー反応を示すようになった。
まあ、「懲りた」というのが本心だが・・・。
当然、この世の中には信頼できる霊能者も数多く存在する。
しかし私は、「霊能者の見解」というものを一切断絶し、それよりも「自分がどう思うか、どう感じるか」にウェイトを置くようになった。
ようするに、「自分の心の声」に注意を払うようになったのだ。
それから、「NOサイン」の重要性だ。
講習会にはじめて参加した日、予報外の雨に端を発し、まるで、会場に出向くことを阻止されるような事象が次々に勃発した。
私はそれまで、「人生にはサインというものがある」とは氣付いていた。
だが、今回の苦い経験を通して、顕在化したサインは決して軽視せず、最初の計画を練り直す勇氣も大切だという、手厚い指南を受けたのだった――。
「仕組まれた意識」が物理的なものとなり、トランス状態に陥った私の心に流れ込んできた。
この貴重な経験を、私は一生忘れない――。
そしてこの頃――。
私はハタと悟った事柄があった。
それは、それまで、私が読みあさった数多くのスピリチュアルの本の「読む順序」が、完璧だったということだ。
自分に起きた怪奇現象の謎を解くことが「スピ本」を読みはじめた端緒となったが、「ツインソウル」という世界観に出会って以降、今度は、魂の浄化を実行することが、それらを読む原動力となった。
もともと、「スピリチュアル」という世界観を斜に構えて捉えていた私は、「魂」の意味が理解できる訳もなく、「私たちは生かされている」という文言もまた、理解不能な表現だった。
そんな私が、スピ本を一冊ずつ読み進める度に、順を追ってその世界観を理解可能なものにしていった。
それは、「無意識に」選択していたはずの本が、見事に、初心者向けにはじまり、徐々に上級者向けに移行したからだったのだ。
もしも、選択する本の順序が少しでも異なっていたら、読解するのに苦悩しただろう。
それくらい、まるでその道のプロフェッショナルに、次に読む本を選択してもらっているかのごとく、完璧な順番でそれらを読み進んだと悟り、私は舌を巻いたのだった――。
このスムーズな一連のプロセスは、スピリチュアルを学習することへの「GOサイン」だったと、今の私は理解している。
魂の浄化を実行することによって会得した知識が、その後降りてきた「ツインの真の概念」を理解する上で、極めて有用なものに変貌していった――。
つづく