友人夫婦の死別 No.1 ~ツインレイ体験記㉗~

曇り空の中の太陽 私の周りのツインカップル
スポンサーリンク

私には、幼稚園の頃から仲が良かった大の友達がいた。

名前を「知恵(仮名)」という。

知恵は、私のすべてを受け容れてくれる、寛容な心の持ち主だった。

中学生のときはケンカもしたが、人格形成がなされる過程で、私の短所を鋭い視点で指摘してくれた必要不可欠な友人だ。

中学校を卒業後、私たちは別々の高校に進学したものの、家が近かったこともあり、お互いの家に頻繁に泊まり合った。

20代に入ってからは会う頻度が確実に減ったが、会えば、朝までおしゃべりしていた高校生の頃のように、なんの隔たりもなく接することができる。

・・・そう信じていた。


2010年、知恵から久しぶりに電話が入った――。

話を聞くと、彼女のお母さんが、父の会社で働くことになったとのこと(父は建設会社を営んでいる)。

その約1年前、知恵の実家の商売が経営破綻したことは、風の噂で聞いていた。

しかし、そのような話は、既に私の記憶から抜け落ちていたくらい、知恵との友情にはなんの影響も及ぼさなかった――。

私たちは、近況報告するうちに、久しぶりに会おうということになり、日時を決めて電話を終えた。

と同時に、私は、「その日は知恵にカップケーキを焼いていこう」と決意した――。


約束日当日――。

カフェのテーブル
スポンサーリンク

2年ぶりの知恵。

2年前、一緒に同窓会に参加して以来だ。

お土産に渡す予定だったカップケーキは、なぜか前日になって作る氣が失せ、結局手ぶらで家を出た。

知恵のアパートの前に到着した私は、なぜか浮かない顔つきで待っていた彼女をピックアップし、予約したカフェへと車を発車させた。

その瞬間、ごく自然に、朝までおしゃべりしていた高校生の頃に一瞬でタイムスリップした・・・のだが、、、。

知恵の様子がどこかおかしい・・・。

最初は、漠然とした違和感だった。

少し機嫌が悪いのかな?とも思った。

ところが、会話を進めるうちに、「幼稚園のときから知っている知恵」とはまるで異なることを、私は次第に自覚していった・・・。

要約するとこうだ。

私が口にすることに、逐一「ていうかー」と反論する。

最近カップケーキを焼くのにハマっていると言うと、「ぜんっぜん似合わない!!」と大きな声で嘲笑う。

極めつきは、カフェで向かい合ったときの、私を見る目や表情だ。

私は、あんな憎悪に満ちた人間の表情を、生まれてはじめて目にした(悪口ではなくて客観的事実です)。

・・・知恵は、会わなかった2年の間、2人目を出産し、体重が戻らないと苦悩していた。

さらに、結婚生活への不満、実家の経営破綻のこと・・・、そんなことをポロリ、ポロリと愚痴っては、「だけど幸せだ」と虚勢を張った。

さらに、独身である私のことを、「お金や時間が自由に使えて羨ましい」とこぼしたかと思えば、誰が聞いても嘘だと見抜ける、お金についての自慢話をはじめるのだった・・・。

私は、そんな彼女と向き合いながら、幼稚園生のときから知っている「寛容な心を持つ知恵」と対峙することを諦め、言葉を失ったまま、戸惑いの入り混じった相づちを打ち続けた。

幼少の頃から大きなお屋敷に住み、地元では有名なお嬢様だった彼女は、すでに、以前のような寛容な心を失っていた――。


「真の友情」とは、「どんな知恵であろうとも、彼女のすべてを受け容れること」が肝要なのかもしれない。

しかし、今回1つだけ、私たちの価値観の間に「致命的な相違」が明白に表面化したのだ。

それは、「友達になるための条件」だ。

相手の優しさや賢さなどの「長所」を認識して、はじめて友達になろうと思う私に対して、知恵は、その条件が「相手に対する優越感」だったのだ。

相手よりお金持ち、相手より痩せている、相手より優位・・・。

そして今回、私との関係における「優越感」が崩壊し、その途端、私への振る舞い方が確立できなくなり、彼女はパニックに陥ったのだ――。


結局その日は、まともな会話が成立しないまま、「またね」と普通に別れた。


それから私は、失望し、悲しみに暮れ、しばらく失意のどん底から這い上がれずにいた。

知恵は、私に対する優越感をベースに、私との友情を満喫していたのだ。

私が認識していた知恵の「寛容さ」は、私への優越感から生じる単なる「余裕」だった――。

そうして私は、悩みに悩んだ末、最終的にスマホのアドレス帳から知恵の電話番号を削除し、思い出の写真をすべて処分して、彼女と決別したのだった――。

のちに母から、知恵のお母さんは数週間でパートを辞めた、と耳にした。

言ってみれば、知恵のお母さんは、私と知恵が絶縁するために父の会社に勤めようとしただけだった。

今は、それがどんな意味を持つか理解できる。

私と知恵は、もう同質結集ではなくなったのだ。

それを具現化するために、偶然ではなく「必然的に」、彼女のお母さんがトリガーとなったのだ――。

しかし当時は、そんなことも露知らず、知恵との決別で打ちひしがれた重い氣持ちを、私はしばらく引きずることになった・・・。


2015年――。

突然、知恵と共通の友人「佐代子(仮名)」から電話が入った――。

つづく

タイトルとURLをコピーしました