もしあなたが、「生きづらいな、、、」と感じているのなら、それは世に蔓延している「ブラック価値観」のせいかもしれません。
今、世に広まっている価値観は、すべて私たちの成長に繋がるとは言えません。
それを認識した上で、あなたが自分を信じ、自分に合った価値観を確立すれば、きっと幸せを感じやすくなるはずです。
私が遂行した「ブラック価値観の塗り替え」を一緒に行って、窮屈な人生を共に払拭していきましょう。
では、世の「偏った」価値観4選です。
お金を使うことは悪いという価値観
欲したものを買うことは贅沢ではありません
確かに「貯蓄」は、将来や緊急時の安心を得る上で不可欠な「保険」です。
しかし、貯蓄の対極である「お金を使うこと」を、「将来への不安を誘発する行為」と捉えるのは短絡的です。
大切なのは、「貯蓄と消費のバランス」であって、例えば貯蓄ばかりに偏るのは、自分に我慢を強いることになり、豊かな人生を送ることを阻むことになります(当然開業などの目標があれば別ですが)。
例として、美容室で高価なトリートメントをするとします。
ここで大事なのは、そのトリートメントを「なぜ行うか」という根拠です。
髪の健康維持として、もしくは、自分へのご褒美として行うのであれば「自己投資」になり、それは、自分を大切にしている「愛の行為」になります。
しかし、見栄や自己顕示欲で行うのであれば、これこそ必要のない「贅沢」で、単に人からよく見られたい、つまり、自信のなさからくる「恐れの行為」になります。
結果、因果の法則により、愛に基づいた行為はさらなる愛(お金)を呼び、恐れに基づいた行為はさらなる恐れ(お金が減ること)を呼ぶのです。
大切なのは、お金の消費は「是非」ではなく、「使い方によって異なる結果が生まれる」ということです。
愛に基づいた消費で、お金が減ることはありません。
むしろそれは、人生が豊かになる不可欠な投資です。
人格者は友達が多いという価値観
友達の人数は霊格(魂のレベル)とは関係ありません
私は10代の頃、「人格者ほど友達が多い」と勘違いしていて、「迎合してまで」友達と呼べる人を「確保」していました。
実は、自分のすべてをさらけ出して、それでも心が通い合う人というのは、ごくわずかです(皆無でも珍しくありません)。
しかし、人として、「自分の本心」よりも「友達の多さ」が重要だと思っていた当時の私は、相手に違和感を感じたとしても、それ(本心)をさらけ出すことが「いけないこと」だと思っていました。
実際、自分の本心がなんなのかさえ、実は40代までわからなかったです。
人と仲良くなる上で必要な、「協調性」や「社交性」の度合いは、単なる個性であって、当然、その人の霊格とは無関係です。
たとえ「協調性」や「社交性」が皆無であったとしても、現実的に「霊格が高い人」というのは存在します。
勝ち組・負け組
人は「優劣」の二元論では判別できません
「他人と比較すること」を「非」としている私たちですが、昨今、それと矛盾した「勝ち組・負け組」という言葉が広まっています。
これは、人を二分し、自分が優劣のどっちの組に属しているのかを知覚させる価値観です。
言わずもがなですが、人生は、「優劣」や「是非」などの二元論では語れません。
特に、「今」という一過性で、人の優劣を判別することはお粗末です。
私たちの人生がどんな人生だったか、それは終わるときにしかわかりません。
「今」の成功が、後の大失敗に繋がるかもしれません。
逆に、「今」の試練が、後の大成功に繋がるかもしれません。
その「今」の状態で、人を「勝ち組・負け組」と仕分けすることは、あまりに稚拙です。
加えて言うと、どんなに幸せそうな人であっても、成長するために生まれてきた以上、試練のない人生などありえません。
「負けるが勝ち」というように、他人とはしいて争わず、どんな状況にいる自分でも愛してあげること。
これが、人生の終焉を目指す上で、一番大切だと思います。
順位付けに基づく教育
成績の順位は、優劣ではなく個性です
私たちは、ある一定の年齢に達すると、学力テストで順位をつけられ、上位は「優」で下位は「劣」という価値観を植え付けられます。
確かに、勉強ができるということは、1つの個性としてとても素晴らしいことです。
また、負けず嫌いな子供にとっては、上位を目指すことが生きる意欲となり、目標を達成できるとその成功体験が自己肯定感に繋がるでしょう。
その一方で、成績が下位の子供は「格下」という烙印が押され、成績が悪いことが、あたかも人として低質だという自己評価をさせられるのです。
誤解を恐れずに言うと、成績の良し悪し、つまり、「勉強への興味の度合い」は、単なる個性であって、「人としての優劣」ではありません。
つまり、その子供が「何者か」ということに、学力テストは必要でも、「順位」は関係ないのですね。
自分が「何者か」を知るには、なにに興味を持ち、なにに違和感を感じ、なにを欲して、なにが必要ないと思うのかを、「自分の直感(理性や惰性が入り混じっていない感覚)」で判断する必要があります。
例えばもし、成績の、上位は「優」で下位は「劣」という価値観がなくなり、「順位はただの番号」という認識に変われば、順位付けすることが「何者か」を知るのに有効利用できるかもしれませんね。
最後に
ここではこれまで、「世の偏った価値観4選」についてお伝えしてきました。
もし、あなたが、ブラック価値観を塗り替えてもなお生きづらさを感じているとしたら、それは、「ありのままの自分を受け入れていない」からかもしれません。
以下の記事では、「ありのままの自分を受け入れる具体例」について説明しています。
ぜひ併せて読んでみてください。
また、私がこのHPを立ち上げるきっかけとなった、ツインレイにまつわる体験談も公開しています。
是非あわせてご覧ください。