PR ※ネタバレ注意‼
U-NEXT で好評配信中の映画『エゴイスト』。
私が、生まれてはじめて3度も映画館に足を運び、大きなスクリーンと優れた音響で見ることを望んだ、非常に魂の奥底に染みる物語です(ちなみに、私の地域ではすぐに上映が終わってしまい、2回目以降は県外へ足を運びました)。
ゲイカップルの愛と死別――。
そこには、経済格差がある彼らの、「お金という名の愛」にも焦点が当たっていて、今更ながら、現実社会へのやるせなさ、そして自分への強い無力感を感じさせられます。
ゲイであった高山真さんの自叙伝的小説が原作になったこの映画は、加えて高山さんご自身も、映画化を知りながら公開前に亡くなられるという、いたたまれない現実を伴うことになりました。
高山さんが経験された、愛する恋人との死別――。
今回はあえて、「ツインレイ(※1)」との関連には触れず、
この映画が、なにを訴え、なにを提起しているのか
テーマの奥深さを踏まえて、考察してみたいと思います。
性的マイノリティの現実
LGBTQ+――。
「性的マジョリティ側の私が、性的マイノリティの問題に触れていいのだろうか」
今、この疑問と向き合いながら、目の前のキーボードを打っています。
高山さんは、原作となった著書でこう書いています。
自分がゲイなのが「悪いこと」とは露ほども思っていない。なのに、(亡くなった)お母さんの仏壇の前では、『ごめんなさい』を繰り返すのだと――。
映画の中でも著書でも、浩輔(鈴木亮平さん演じる高山さん)が、何度も痛々しいまでに言う『ごめんなさい』という言葉。
ゲイである浩輔が発するそれは、「性的マイノリティに対しての偏見が根付いた社会」が彼に謝らせているのであって、彼にはなんの落ち度もないはずなのです。
私たちは、そんな彼らの現実を、重く受け止めざるを得ません。
自分のセクシュアリティが「生きづらさ」を生んでしまう。
この映画は、「表向きのあたりまえ」の裏に潜んでいる根深い現実を、魂をえぐられるかのごとく、私にこれでもかと言わんばかりに突き付けてくるのです。
ヤングケアラーの実情
宮沢氷魚さん演じる浩輔の恋人「龍太」は、シングルマザーで育つ中、その、たった1人の大黒柱である母親(阿川佐和子さん)が病魔に襲われ、経済的に困窮して高校を中退します。
そのときから「売り専(男娼)」として働き、一家の生活費はおろか、母親の医療費までも龍太が担い、生計を支え続けているのです。
原作で、そんな龍太を思いやった浩輔が、どんな氣持ちで「売り専」をはじめたのかと龍太に問う場面があります。
「心からしたいと思った仕事じゃない。だけど、これしか道がない。お母さんのこと大事だから、進まなきゃしょうがなかった」
そう龍太は答えるのでした――。
そこには、「かわいそう」では済まされない、「ヤングケアラー」の実情が晒されています。
私はこれまでの記事で、「我慢を手放しましょう」と何度も書いてきたし、それは紛れもない私の真意です。
しかし、例えば私が龍太と友達だったとして、そんな境遇の彼に「我慢は手放したほうがいい」と言えるでしょうか。
これは、フィクションなんかじゃない、現実に起きていることだと思うと、我慢を手放すなど、平和ボケした人間の戯言のように聞こえてしまって、虚しさだけが身に染みます・・・。
物語は、高所得者である浩輔が、龍太に経済的援助を申し出て売り専をやめさせ、足りない分は、龍太が肉体労働で身を粉にして働く、という展開を見せます。
その結果、龍太の「過労死」が2人を永遠の別れへと導き、浩輔は龍太の死を、売り専をやめさせた自分のせいだと自責するのでした。
――『ごめんなさい』、、、と。
愛するということ
ストーリーは後半、「浩輔と、残された龍太の母との対峙」へ主軸を移します。
浩輔は、龍太の死後をも彼の代わりとなって、龍太の母に経済的支援を続けるのです。
そこで浩輔が、自分の生活水準を落とし続ける「お金という名の愛」と向き合い、葛藤する様子が描かれていきます。
前半、浩輔と龍太親子の3人で食事をしたとき、浩輔が龍太の母を通して、14歳のときに亡くした自分のお母さんに思いを巡らす印象的なシーンがあります。
毎月龍太の母に渡すお金は、「龍太への愛、亡くなった母親への愛」と言えば美徳なのですが、浩輔が放っているのは、「龍太への罪悪感、亡くなった母親への背徳感」という、痛ましい影です。
龍太の母へ経済的支援を続けるのは、今でも浩輔が母親の仏壇の前で『ごめんなさい』と言ってしまう背徳感を、まるで龍太の母を支えることで帳消しにしているような、そんな印象を受けるのです。
「与えることで満たされていく」
映画「エゴイスト」より引用
「この愛は誰のため」
これは、映画予告で使われたキャッチコピーですが、もしも浩輔が、母親に対してゲイであることの背徳感を背負っていなければ、皮肉にもこの物語は生まれなかったかもしれません――。
映画について
映画『エゴイスト』は、松永大司さんが監督を務め、まるで身近な日常を切り取って繋いだだけのような、独特なドキュメンタリータッチに仕上げています。
鈴木亮平さんの洗練された演技、宮沢氷魚さんが醸し出す儚さ、そういった要素もまた日常感を際立たせ、見はじめてすぐに感情移入してしまうのも、大きな特徴の1つです。
加えて、阿川佐和子さんや柄本明さんの演技は、監督の意向を見事に汲み取っていると思われ、まるで、友達のお母さんやお父さんをリアルに見ているような、そんな錯覚に陥ってしまいます。
この映画は、一見クィア映画(LGBTQ+を主題にした作品)ですが、その広範なテーマから、安易にクィア映画にカテゴライズするには違和感があります。
見終わる頃、「切なくともなぜか愛で満たされている」というのが、他に類を見ない持ち味なのです。
私たちが生きる上で、もっとも大切なテーマと言える「愛と死」。
その、「優しさと美しさと残酷さ」が、幾重にも折り重なって、この映画から解き放たれているのです。
最後に
私たちは誰しも、人に言えない心の傷を、1つや2つは必ず背負っているものです。
この物語は、その心の傷を、主人公である浩輔が「与えること」で癒していく、その姿を見て、私たちの方が心救われるような、そんな氣持ちになることだけは確かです。
私が望んでやまないのは、「この地球に生まれてきたすべての人が、心を開いて、本心をさらけ出せる世の中になりますように」ということ。
「すべての人が、魂を解放できる世の中になりますように」ということです。
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最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。
また、私がこのブログを立ち上げるきっかけとなった、「ツインレイ」にまつわる体験談もUPしています。
もし興味のある方は、ぜひご覧ください。